代表プロフィール

名前:小松栄輝 生年月日:1995.03.28 出身地:栃木

東北大学工学部情報知能システム総合学科(現電気情報物理学科)卒業
東北大学大学院工学研究科応用物理学専攻 博士前期課程 修了
外資系企業就職
日本の教育を変えるため、
受験アシスタント With youを開始

小学校2年生から10年間サッカー漬けの生活を送り、高校2年生の2月まで勉強とは無縁の生活を送る。しかし、高校2年生の2月、自分の将来にサッカーで生きる道がないことを悟ると共に将来への危機感から、大学受験を志す。まさに、受験知識ゼロの状態から、実に300時間以上を勉強方法の研究に費やし、高校3年生から独学で受験勉強を開始し、わずか3カ月で理系校内順位120/140位程度から一気に一桁順位常連となるまで成績を上げ、全国模試の偏差値も40台から60台まで上昇、その後も学校の先生に「どうせ無理だ。諦めろ」と言われていた第一志望の東北大学工学部に全国模試でA判定を取得し、現役で合格。
その後、大学院を経て、外資系企業に勤務。新卒1年目にして月収約50万円と平均的な日系企業の約2倍の給料をもらい、学歴の差が人生に大きく影響を与えることを痛感。
「都会に住む経済的に豊かな家庭の子供が有利」と言われる現在の歪んだ受験業界に違和感を覚え、自身の受験成功経験を元に自身の高校時代と同じような田舎の一般家庭の高校生でも最高の環境で学習ができ、同じ条件で受験に挑むことができるようにしたいという想いから、「日本全国、どこでも誰でも、最高の学習環境で受験に挑める社会」を実現するためにプロ受験アシスタントwith youを開始。

ここからは、今は販売しておりませんが、前にAmazonで電子書籍で販売していた私の受験物語を載せたいと思います。
この本は、志望校に合格するために、”これから受験勉強を頑張る”、もしくは、”今、受験勉強を頑張っている”という全国の受験生たちに向けて書いた物語です。
信じ難いかもしれませんが、これが、私の実際の高校時代です。
※私の大学受験の実話(+大学、大学院時代の話もほんの少し)の物語です。

目次

第1章 受験すると決めた日

高校2年生の2月、サッカー部に所属していた私は、何回目か分からないほどの疲労骨折から復帰を遂げようとしていた。

久々の部活だが、気分は晴れやかでない。

なぜなら、主力のチームメイトが2名、新人戦を終えて、受験のためにといって、退部してしまったのだ。しかも、そのうち一人は副キャプテンであり、チームの絶対的な存在だ…

さらに、新人戦を終え、フィジカルが課題だと認識したチームは、毎日毎日、きっつい体力トレーニングが中心になっている。

“もうだめだ”

私は、そう思った。

なぜなら、私は、このようなフィジカルトレーニングの反復により幾度となく怪我を繰り返していたため、復帰してもどうせすぐに離脱してしまう。

さらにチームも主力が抜け、大幅に戦力が落ちている。

それまで、部活動一辺倒だった私は、急に力が抜け、もうやる気を失ってしまった。

復帰したら、1試合だけ出て引退しよう。

そう決めたのだ。

しかし、引退したら何をしよう。

これまでサッカーしかしてこなかった私は、

急に将来が不安になった。

もう、選択肢は一つだった。

「大学にいくしかない」

そう考えたのだ。

そして、私は、ならば、できるだけレベルの高い大学に行こうと思った。

しかし、東大は無理だろう。

なんと言っても全国模試では偏差値が40なのだから。

じゃあ、旧帝大(北海道、東北、東京、名古屋、大阪、京都、九州)と視野を広げたらどうだろう。

模試の偏差値の推移データを調べてみると、そのレベルの偏差値の上昇は希少とは言え、

0%ではないことが分かった。

これで、私の心は決まった。

「サッカー部をやめよう。そして、旧帝大に行く。」

第2章 周囲からの反対

サッカー部をやめ、旧帝大を目指すことを決めた私は、まず、どの大学を目指すか検討した。

真剣に検討した結果、今の成績から大逆転合格をするには、

二次試験の比率、それも数学の比率がとても高く、

さらにその難度も最高レベルに高い

名古屋大学に焦点を当てた。

数学に絞って、数学だけ最強になれば、

そこで圧倒的な差が生まれ、他の教科を捨てても

合格できる。

“これしか道はない“

そう考えたのだ。

そして私は、

チームメイトにも相談せず、

自分で決めた引退試合を終えた

翌日のオフの日の放課後、

いきなり顧問の先生方に話をした。

その時の先生方の反応は概ね以下のような反応だった。

「今まで勉強なんか一切してこなかったじゃないか。
部活やりながらでも勉強してるようなやつだったらまだしも、宿題もやらずに赤点ばっかとってるやつが部活やめたからっていきなり勉強できるようにはならないぞ?

「部活が中途半端になるような奴は受験も失敗するぞ。
最後までやってから受験でも遅くないんじゃないか?」

「お前が一番、遅くまで部活頑張ってきたじゃないか。
今やめたら後で絶対後悔するぞ。」

と、急な話に、驚き半分、反対半分という反応だった。

勉強頑張れよという言葉は一切なかった。

それも当然だろう。

今まで、授業はろくに起きてたことはないし、

部活のために高校に来ている人の象徴のような存在だった私が、いきなり

“勉強します。”

なんて言っても誰も信じないだろう。

しかし、私の心はもう決まっていたので全く揺らぐこともなかったし、

先生達もそれを察してか強く止めることはなかった。

話が終わり、教室に戻ると、

サッカー部の連中が待っていた。

もちろん、申し訳ない気持ちはあった。

だが、私は怪我続きでチームの主戦力ではなかったし、あのチームの雰囲気では、

もう、どうしようもなかったのだ。

チームメイトのことの前に

まず自分の将来が大事だと思った。

だから、チームメイトに何を言われようと、

「もう決めたんだ。」と言い張った。

だが、これで、成績が上がらなかったら、

チームメイトに示しがつかない。

だから、

「何が何でも、この大逆転劇は成功させなければならない。」

そう強く誓ったのだ。

帰ったら、両親に

「サッカー部をやめることにした。名古屋大を目指す。」

と宣言した。

私にとっては、別に唐突な決断ではなかったが、

何しろ両親には、一言もそのようなことは

言ってなかったので、

「・・・・」

「どうしたの?」

「本当に?」

という反応だった。

なにせ、今まで、散々、

親に逆らってまで

サッカーをやり続けてきたのに、

急に自分から辞めると言い出すのだ。

私は小2からサッカーをしていた。

両親は途中から違うスポーツに転向させようと

したり、今シーズン何点取れなきゃやめろ、と

(私にとっては)無理難題を押し付けてきたりしていた。

しかし、私は強情にも

10年間サッカーをやり続けた。

それも、小学校の頃はクラブの他に

フットサルスクールまで通わせてもらった。

なのに、どうだろう。

自分から「やめる。」と言い出したのだ。

両親は言葉が出ないという感じだった。

むしろ、

勉強なんていいから、最後までやったら?

と言わんばかりだった。

しかし、反対はしなかった。

ただ、最後に

「じゃあ、本気で勉強しなさいね。」

という一言だけで、見守ってくれた。

本心は、サッカーを続けてほしいという思いも

あったように見えた。

これで、私の周囲の人間への説明が終わった。

そして、

いよいよ、受験に向けた日々が始まるのであった。

第3章 地獄から天国へ

さあ、名古屋大学を目指すといっても、

なにから始めればいいだろう?

私は、受験勉強を始める前に

受験勉強というものを勉強することにした。

それこそ、

受験の仕組みや流れから、

効率のいい記憶法、良質な問題集、

胡散臭い受験法の本や、

ドラゴン桜のような定番の漫画まで

まず、ゴールまでの道筋を作ろうと考えたのだ。

そして、私は

“これを実行すれば必ずや合格できる“

そういう道筋ができた。

偏差値40台にもかかわらず、この時にもう私は合格を確信したレベルだ。

これは、この時、自分の中で確信したことだが、

“受験勉強は独学でなくてはならない“

独学でなくてはこの方法は実践できない。

家庭教師や塾では不可能なのだ。

そのことに気づいた私は、

独学で大逆転を目指すことに決めた。

結局、この”受験勉強の勉強”なくして、この大逆転はなかった。

1か月、この”受験勉強の勉強”に費やしたが、

これは決して欠かすことのできない勉強だった。

そして、この作業を怠り、

安易に、塾に通ったり、家庭教師を雇うような

選択をしていたら、

地元の国立大学に合格することすら難しかった

だろう。

だから、私は、

ここで間違ってしまう受験生を救うために、

受験勉強法を伝えていこうとしているのである。

さて、春になり、私はついに受験生となる3年生になった。

私の高校は3年進学時に

文系は私文クラス、国立クラス

理系は成績別にクラス分けされる。

私は理系だったので成績別にクラス分けされた。

その結果、私はなんと、底辺クラスの問題児クラスに配属されたのだ。

それもそのはず、

私の成績は、理系、約140人中120位程度だったのだから。

配属されたクラスはもうひどかった。

例えるなら、そう、

まさに動物園という感じだ。

常に騒がしく、

生徒は本当に自由。イヤホンを耳に突っ込み、

携帯をずっといじったり、友達と普通におしゃべり

している生徒ばかりなのだから。

そんな中、3年生になって最初のテストがあった。

なにせ、“受験勉強の勉強”しかしておらず、勉強はまだしてなかったものだから、

いきなり赤点を取ってしまった。

そこで、国語の先生に言われた強烈な一言が未だに記憶に残っている。

「お前、部活辞めて何してんだ?ゲームでもしてんのか?どっかで遊んでるんじゃねえだろうな?」

これは、結構きつかった。

私にとって、部活の存在は非常に大きいものだったし、遊ぶために辞めるなんて言語道断だ。

でも、試験の結果だけ見たら、

確かにそう見えるかもしれない。

私は、

「違います。」

これしか言えなかった。

とても悔しかった。

でも、私は、学校のテストは対策せず、

受験のための勉強をすると決めていたので、

先生から浴びせられた言葉にも負けず、

信念をブラさずに受験のためだけの勉強を始めた。

そして、2カ月がたち、

6月のマーク模試を目前にして、担任との面談があった。

その時の面談も強く記憶している。

私の担任は

「この模試で650点取れなきゃ無理だからあきらめろ」

と言ってきたのだ。

それも、本心はきっとこうだったに違いない。

「どうせ、口先だけで言ってんだろ。
鼻っから無理なんだから適当なこと言ってんじゃねえよ。
650点とったなら認めてやる
まあ、どうせ勉強なんかしないで遊んでんだろうから
せいぜい450点ってとこだろうな笑」

まあこんなとこだろう。

でも、私は、この模試の結果は重要視しないと決めていた。

だって、6月で650点とって順調に成績をのばして合格って、普通の受験生じゃん。

”俺はここで、550点だろうが、500点だろうがこれから加速すんだよ。諦めろとか何様だ。俺が決めることだ。”

そう内心思いつつ、適当に「分かりました」って答えた。

そして、マーク模試が終わったのだが、

自己採点すると、630点程度だった。

周りからは”ほら吹き”だとか”採点ミス”だとか散々いわれた。

だが、私にとってこれは重要でないので、特に気にしなかった。

しかし、結果が返ってくると、自己採点は合っていた。

そして、なんと、校内順位9位、第一志望の名古屋大学工学部の判定もE判定ではなくD判定ではないか。

650点には届かなかったものの、先生達の態度や生徒達の私を見る目は一変した。

特別扱いされ始めたのだ。

ここで、私は、予定より、圧倒的にハイスピードで成績が上がっていた事に驚いた。

そして、戦略を変更した。東北大学という新しい選択肢が出てきたのだ。

これは、数学一点突破でない正攻法で攻めれるぞ。

ということだ。

サッカーに例えると、守備をガチガチにしてカウンターでしか勝ち目がないと思っていたから、

守備とカウンター戦法のみを鍛えていたのに、

おや、やっぱりパスサッカーでも行けそうだぞ?

という感じだ。

そして、私の実家は栃木県なので、

担任からも親からも

東北大学の方がいいんじゃない?

と提案されたからでもある。

そこで、改めて、具体的に

各科目の点数を見て、東北大学と名古屋大学のどちらにするかを考えた。

結果、数学に偏っている名古屋大学よりも、東北大学にした方が、バランスが取れていて、合格できる確率が高いと判断し、東北大学を第一志望に変更した。

しかし、大まかな戦略は変わらない。

理系科目を強みにして、文系科目をカバーする形で攻めよう。

と考え、少しだけ、戦略を変えるだけで対応できた。

なにはともあれ、

このテスト以降、

私は真面目に受験勉強している生徒と認識される

ようになり、

更には、独学で底辺クラスから一気に

上位に食い込んできた天才

とまで思われるようになったのだ。

これまで、旧帝大に行くというと

バカにされていたのに、

急に、納得されるようになり、

もの凄く変な感じだった。

第4章 悪魔の手

さて、そんなこんなで、順当に東北大学を目指せる

くらいの成績の上がり方をしてきたわけだが、

わたしの勉強を阻むものがあった。

それは、”環境”だ。

3章でも触れたが、

私のクラスの環境は相当にひどかった。

まず、授業中はみんなたいてい

おしゃべりかイヤホンを突っ込んでゲームや音楽。

さらに、耳が遠いおじいちゃん先生の授業では音をだしてAVを見て、みんなで爆笑しているのだ。

先生は「何が面白いんだ!怒」

みたいな感じで、とても、勉強に集中できる環境ではなかった。

さらに、私の成績が良いことを知ると、

分からない所は、

授業中にも休み時間でも放課後でもお構いなしに聞きまくってくるのだ。

おまけに、妬んでいるのかなんなのか、

しょっちゅう、ちょっかいをだしてくる。

中には、参考書をとったり、隠したりと陰湿なものもあったのだ。

ただ、さすがに長期に隠すようないじめのようなものではなく、かまってほしくてやってるような可愛いものだが。

それでも私の限られた時間を奪われるのはなかなかに腹立たしかった。

そこで、私は、人の質問に答えるのは休み時間だけとした。

そして、放課後はなるべく早く学校を出るようにした。参考書は取られる余地をなくすように頑張り、

どうでもいいものを取らせるようにした。

そうすると、休み時間も勉強となりむしろプラスになった。

しかも、皆が持ってくる問題は、その人が、答えを見てもわからないような所を持ってくるので、

割とつまづきやすいポイントだったりするわけだ。

これを端的に分かるように説明するというのは、かなりトレーニングになったし、応用が効くいい勉強になった。

このように、行く手を阻む悪魔の手が受験勉強には多々出てくる。

そのせいで、私は、学校の図書館でも勉強できなくなったし、学校の近くの図書館でも勉強できなくなり、家の近くの夜7時までしか開いていない図書館で勉強することになった。

しかし、それでも、

断固たる決意をもって、戦い続ける。

受験勉強にはそんな断固たる決意が必要なのだ。

第5章 最大の敵

そんなこんなで、迎えた1月、

ついにセンター試験。

私は、思いもよらず、

1日目の地理で大失敗をおかした。

直前模試では96点をマークしたにも関わらず、

なんと本番で63点しか取れなかったのだ。

そして、するなと言われていた自己採点を

してしまった私は、国語と英語も思うように点が取れていないことが分かり、

2日目の科目は全て9割越えでなければならない。

と考えた。

そもそも2日目の理系科目が得意だったというのもあり、

全ての科目で9割越えを達成し、挽回できたが、

1日目の科目がいつもより相当取れてなかったということで

かなりのプレッシャーを受けた。

しかし、最大の敵はそのあと、現れたのだ。

私は、もともと二次試験に力をいれており、

二次試験で勝負すると決めていたが、

その年のセンター試験が難しかったらしく、

失敗と思っていたにもかかわらず、

センター試験の判定はA判定で、しかも、応募するつもりのなかった

AO入試(センター試験+英語の試験+面接)に

担任の一存で受けることになった。

そして、決まるとすぐに、時間がないから、と

授業は認休となり、別室につれていかれ、

志望動機や実績みたいな自己推薦書をかけと言われ、一日で書いた。

そして、応募したはいいものの、過去問はないし、

そもそも一般入試で受けるつもりだったし、落ちる気もしないのに、

いきなり、AOとかいわれても…

という感じだ。

こうなると、なんだか、対策もしていないのにAO入試で受かるような気がしてくる。

日々の勉強は一般入試を受ける心づもりで勉強しているのに、全く身が入らなかった。

そして、一般入試2週間前、AO入試当日。

英語では、過去問を解いていなかったため、難度の高い単語に振り回され、頭を悩まされながら、問題を読み進めた後に、文章の終わりに難単語の意味が書いてあることに気づいたのだ。

時間切れで全く解けなかった。

さらには、面接も対策なしのアドリブ。

当然、受かるわけがない。

しかし、同じ高校(の成績優秀クラス)からAO入試を受けた2人より私はセンター試験の点数が高かったため、もしかして受かるのでは?

そんなことを考え、一般入試の勉強は全く身が入らなかったことを覚えている。

当然、AO入試は落ちた。

しかも、センター試験が私より20点も低かった同じ高校の(成績優秀クラスの)人は受かっていた。

このあとは、なんだか落ち込んでしまい、勉強に集中できずに一般入試を迎えることになった。

もうお分かりだろう?

最大の敵は自分自身だったのだ。

油断、慢心、そういうものが行く手を阻むことになるのだ。

一般入試では、それまで蓄積してきた努力のおかげで突破できたものの、危ない所だった。

戦略を立て、実行計画を立て、実行していたのに、

計画が崩れ、油断から努力の継続を怠ったがために、 バランスを崩しかけた。

しかし、最終的には、そんな中でも、最低限やるべきことが明確であったために、身が入ってなくても、一応の最低限の勉強は継続され見事に大逆転劇を果たした。

結局、全ての成功は最初の1か月間の

受験勉強の勉強ここにあったのだ。

受験勉強は戦略から始まり、実行に終わる。

このことを(全国トップレベル高校の生徒を除き)ほとんどの受験生は知っていない。

なぜなら、塾も家庭教師も通信講座も、

更には学校さえも、

個人が独学でそんなことされると困るのだ。

何故なら、最善の方法が授業も全く聞かずに、

授業中は内職、放課後は市販の参考書で勉強。

これだからだ。

だから、多くの大人達はこれを隠している。

(学校の教師についてはそもそも気づいてないだろう。しかし、大手の予備校のトップの人達はきっとわかっているはずだ。)

受験で第一志望に合格するかしないかということは、

あなたの人生に関わってくることだ。

だから私は、

受験生は第一志望校への合格を第一に勉強するべきだと思っている。

そのために、私は、第一志望校に合格するための方法を全ての受験生に伝えていきたいと思っている。

終章  光のその先は

こうして、1年前は偏差値40台だった私は晴れて

第一志望の東北大学に合格し、

4月には、東北大学に入学した。

入学式では、その学生の数や、

大学の規模の大きさにただただ驚くばかり。

また、入学すると、すぐに部活動やサークルの勧誘が始まる。

サークルや部活動は把握することができないほどの数があり、100人以上の組織もざら。

また、男子校出身の私は、

女性がいることがまず新鮮。(ただ、私は工学部なので女性はかなり少なかったが(笑))

入学してすぐに、本当にこの大学に入学して良かったなと思った。

また、部活動やサークルは他大学との合同のものも多く、人脈も広がる。

やはり、東北大学という名前はその地域では非常に強く、周りの大学からは少し憧れの的としてみられたりする。

また、このように逆算思考で受験に合格するという成功体験は、他の場面でも大いに生きることになった。

まず、単位は大学4年間、大学院2年間と全く落とす気配がなかった。

また、大学では、部員100人ほどの運動部に未経験で入ったが、大学4年生の時には、全国大会では個人で準優勝という成績も残した。

大学院入試は部活動をしながらでも同じ方法で楽々合格し、就職活動も同じように戦略的に成功を収めることができた。

実際、成功体験を手に入れることで次々と成功することができるし、大学受験というのはそのような成功体験を積むためにも非常にいい機会であると思う。

だから、私はあなたにも受験でこのような成功体験をしてほしいと思っているし、

できるだけ多くの受験生に、

私の方法を実践してもらい、第一志望校に合格してほしいと思っている。

本書では、合格のための具体的な方法論には触れていないが、

LINEでは、合格のための方法論について日々発信している。

もし興味があるようならきっとためになるので、ぜひのぞいてみてほしい。

それでは、あなたが受験で成功し、私に合格の連絡をくれることを期待している。

 

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